アダルトチルドレン回復のきろく

29歳で母と絶縁、その後自分の人生を生きられるようになりました。実体験をつづっています。

私はいかにしてアダルトチルドレンになっていったのか(~24歳)

〈AC回顧録・小学生〉母の悪意が自分のなかでうごめいていることに気づいて戦慄した記憶

真似したくなくても、親の悪癖をコピーしてしまっていたと気づいたできごと。

〈AC回顧録・4~5才〉事実上の軟禁 - トイレ以外は部屋から出てはいけない&玄関使用禁止

トイレ以外、部屋から自由に出ることは許されませんでした。 玄関も使用できず、窓から出入りさせられていました。

〈AC回顧録・幼稚園〉4才で「理不尽」の意味を痛感 - 「みんなのうた」を口ずさんでいたら母キレ散らかす

幼稚園で習った、手洗いの歌を歌っていたら、母に因縁をつけられた話です。

〈AC回顧録・4-5才〉母が素手で触ったものを食べられなくなる

ひどく体調を壊して以来、母が素手で触ったものを食べられなくなりました。

〈AC回顧録・4-5才〉体調不良で母にドン引きされる→トラウマに

ひどく体調を壊したとき、明らかに母が引いていたため、体調を崩す可能性のあるものを徹底的に避けるようになってしまいました。

〈AC回顧録・4~5才〉年齢の話になると母の機嫌が悪化してつらい

年齢の話題になると、この世の終わりかというくらい不機嫌になる母。深刻な劣等感を子にあてつけたのが問題でした。

〈AC回顧録 幼稚園〉無限ハーモニカ地獄

幼稚園のころ、ハーモニカが得意でないことに立腹した母によりハーモニカを延々と練習させられた話

〈AC回顧録・4~5才〉「うちの子は主役がやりたいんです」とすぐ幼稚園に乗り込んで行ってしまう

母は、「こんなに出来る娘を育てた自分(母)は偉い」という謎の理論で、娘を使って己の劣等感を癒そうとしました。しかしそのやり方は誰一人幸せになりません。

〈AC回顧録・幼少期〉ひらがなをひたすら書き続けることの虚しさ

子どものうちから「嫌なこと」を無理やりし続けていると、やりたいことに充てる気力すら失ってしまう。

〈AC回顧録・幼少期〉母の機嫌を損ねると「あんたを置いて出ていくんだからね」

母は私を「言うこと聞かなければ云々」という脅しを使って、コントロールしました。のちの絶縁の理由の一つです。

〈AC回顧録・幼少期〉「あれもダメこれもダメ」で生きる力を奪われる

「あれもダメこれもダメ」により、私は「意志を持つことはムダ」と思うようになりました。

〈AC回顧録・幼少期〉「だまし討ち」的な連れ出し方に不信感が募る

「騒がれると面倒だから」とだまし討ちみたいなやり方をされていると、不信感が募るという話。

〈AC回顧録・幼少期〉親戚とも接触禁止 会話すら母の機嫌を損ねる

親戚の問いかけに答えるだけで母に怒られるという話。母は、不満をその本人に言えず、弱いものに向ける人でした。

〈AC回顧録・幼少期〉母に黙って祖母の顔を見に行ってしまった日のこと

母の目を盗んで祖母の部屋に行った日のこと。

〈AC回顧録・幼少期〉同居している祖母との接触を禁止される

同じ屋根の下で暮らす祖父母とろくに会話もさせてもらえない環境でした。

〈AC回顧録・幼少期〉母と同じ意見・嗜好以外は「敵」

祖母がジャイアンツを応援することを「自分への攻撃」とみなしていた母。極端な白黒思考でした。

〈AC回顧録・幼少期〉明らかなミスをしても謝れない母→周囲の人と揉める

自分のミスを謝れない人は劣等感が強い&信頼を失う&トラブルを招く

〈AC回顧録・幼少期〉母が場当たり的な嘘をつく→揉め事に

母が場当たり的なウソをつく→揉め事に発展、がいつものパターンでした。

〈AC回顧録・幼少期〉夫婦間で意見の統一ができていないと、子は「生きながら同時に死ぬ」ことになる

両親の価値感があまりにも違いすぎること、そしてお互いが歩み寄る気がないこと。両親のもとに生きているだけで怒られることが決定していました。

〈AC回顧録・幼少期〉お腹は痛いわ、母は不機嫌だわ、夫婦喧嘩も勃発するわ、でヘトヘト

子どもの頃の切なる願いは「お腹が痛くなりませんように」でした。

〈AC回顧録・3才頃〉夫婦喧嘩の後の「お父さんとお母さんどっちについていくのっ!!」がとても堪える

夫婦喧嘩の後、母から試し行為をされるのがとてもつらかった。相手の言ってほしいことを予測して即答するクセがついてしまったという話。

〈3才ころ〉激しい夫婦喧嘩は子にとっては身を切られるような思い

子どもにとって、親の激しい夫婦喧嘩は身を切られるようにつらい。子どもだからといってわからないわけではないです。

〈3才ころ〉たとえしつけでも、叩かれた記憶はいまも心に影を落としている

たとえしつけであれ、子どもを叩いても良いことは一つもない、と叩かれた側の私は思う。

〈3才ころ〉人生で最初の記憶 - 自分の体調不良よりも親の機嫌を優先

人生で最初の記憶は、親に体調不良を言えず、意識もうろうとしたままバスの中で立ち続けたこと。