私はいかにしてアダルトチルドレンになっていったのか(~24歳)
真似したくなくても、親の悪癖をコピーしてしまっていたと気づいたできごと。
トイレ以外、部屋から自由に出ることは許されませんでした。 玄関も使用できず、窓から出入りさせられていました。
幼稚園で習った、手洗いの歌を歌っていたら、母に因縁をつけられた話です。
ひどく体調を壊して以来、母が素手で触ったものを食べられなくなりました。
ひどく体調を壊したとき、明らかに母が引いていたため、体調を崩す可能性のあるものを徹底的に避けるようになってしまいました。
年齢の話題になると、この世の終わりかというくらい不機嫌になる母。深刻な劣等感を子にあてつけたのが問題でした。
幼稚園のころ、ハーモニカが得意でないことに立腹した母によりハーモニカを延々と練習させられた話
母は、「こんなに出来る娘を育てた自分(母)は偉い」という謎の理論で、娘を使って己の劣等感を癒そうとしました。しかしそのやり方は誰一人幸せになりません。
子どものうちから「嫌なこと」を無理やりし続けていると、やりたいことに充てる気力すら失ってしまう。
母は私を「言うこと聞かなければ云々」という脅しを使って、コントロールしました。のちの絶縁の理由の一つです。
「あれもダメこれもダメ」により、私は「意志を持つことはムダ」と思うようになりました。
「騒がれると面倒だから」とだまし討ちみたいなやり方をされていると、不信感が募るという話。
親戚の問いかけに答えるだけで母に怒られるという話。母は、不満をその本人に言えず、弱いものに向ける人でした。
母の目を盗んで祖母の部屋に行った日のこと。
同じ屋根の下で暮らす祖父母とろくに会話もさせてもらえない環境でした。
祖母がジャイアンツを応援することを「自分への攻撃」とみなしていた母。極端な白黒思考でした。
自分のミスを謝れない人は劣等感が強い&信頼を失う&トラブルを招く
母が場当たり的なウソをつく→揉め事に発展、がいつものパターンでした。
両親の価値感があまりにも違いすぎること、そしてお互いが歩み寄る気がないこと。両親のもとに生きているだけで怒られることが決定していました。
子どもの頃の切なる願いは「お腹が痛くなりませんように」でした。
夫婦喧嘩の後、母から試し行為をされるのがとてもつらかった。相手の言ってほしいことを予測して即答するクセがついてしまったという話。
子どもにとって、親の激しい夫婦喧嘩は身を切られるようにつらい。子どもだからといってわからないわけではないです。
たとえしつけであれ、子どもを叩いても良いことは一つもない、と叩かれた側の私は思う。
人生で最初の記憶は、親に体調不良を言えず、意識もうろうとしたままバスの中で立ち続けたこと。