ししもとの読書ノート2.0

自分らしく生きるために知識をつける

「機嫌がよい」ことは幸福の表現のひとつ|感想『成功ではなく、幸福について語ろう』

岸見一郎『成功ではなく、幸福について語ろう』幻冬舎(2018)の感想記事(後半)です。

前半の記事では、
・幸福と幸福感は別物
・幸福と成功も別物
・幸福は人によって異なる
・幸福は表現的なもの
と理解しました。

本記事では、「幸福を表現するには具体的にどうしたらいいのか」を本書を参考に考えていきたいと思います。

成功ではなく、幸福について語ろう

成功ではなく、幸福について語ろう

 

 

 

自分自身が幸福を表現するにはどうしたらいいのか

自分自身が幸福になることが大事だということは納得した。
でも、具体的にどうしたらいいの?と思いますよね。

前半の記事で挙げたように、ミュージシャンとかだったら、わかりやすいかもしれないけど、そんな才能もないし…。

三木清氏は幸福の表現として、以下のことを挙げています。
(緑字は岸見先生の解説)

・機嫌がよいこと
 →周りの人が気を遣わなくていい
・丁寧なこと
 →丁寧な扱いをしてもらうと、大切に扱われていると感じられる
・親切なこと
 →求められれば可能な限り援助する
・寛大なこと
 →自分と違う考えの人のことも理解する

こうして見てみると、自分の幸福って結局、他の人を幸せにすることなのかな、と思いました。

しかし、機嫌が悪いのに、無理に機嫌よくふるまうのは幸福ではありませんよね。
ということは、幸福を表現する前段階において(日常的に)、自分の機嫌を自分で整えておくことが必要なんだろうな、と思います。

そのためには、基本的には、自分が喜びを感じることをする、ということが外せないのかな、と思いました。


広告  

私にとっての幸福を考えてみる

本の内容を正しく理解できているかはわからないのですが(この記事もあくまで私を通した解釈です)、改めて私にとっての幸福とは、ということを考えてみたいと思います。

一つは、「とにかく自分で決める」ということ。
長年、毒親の支配下にいたせいか、「とにかく自分で決めたい」という思いが強くて仕方がないです。
別の単語に言い換えるなら「自由でいたい」とか「自分が心地よいと感じるペースにしたがって生きていきたい」とか「誰にも指図されたくない」ということになるかと思います。

喜びというよりは、生きる姿勢のような気もしますが、「自分で決められる」と、それだけで嬉しいし、自分のコンディションを良好に保てるので、私にとっては幸福に値するもののような気がします。


もう一つは、やっぱり本を読んで考えることですかねー。
それ自体が私にとっては喜びを感じるというか、せずにはおれないことですし。

さらに、こうしてブログを書くことで、読んだ誰かが良い気分…は無理でも、参考になったと感じてくださるところがあれば、それは幸福が伝わっているということですから、「幸福は表現的なものである」という考え方と合致しているような気がします。 


広告  

おわりに

ちょっとまだ咀嚼しきれていない部分もありそうな気がしますが、今の段階での幸福についての考えを自分なりにまとめました。

・幸福と幸福感を混同しない
・幸福と成功を混同しない
・幸福は人によって異なる、オリジナルなもの
・自分の幸福は表に出て他の人に伝わる
・機嫌がよいがことも「幸福」の表現のひとつ

本記事では触れていませんが、本書では、岸見先生が十代の学生さんに向けてされた講演「これからの人生をどう生きるか」も記載されているのですが、これもすごく良かったです。

成功ではなく、幸福について語ろう | 株式会社 幻冬舎