過去の痛みを成仏させるため、自分の育った家庭を改めて客観視する作業をしています。(関連記事一覧はこちら>>>【もくじ】いかにして私はアダルトチルドレンになっていったのか【体験談】)。
体調不良のときの親の態度にショックを受け「自分の身は自分で守るしかない」と決意したため、あやしげなものを口にしないことを徹底するようになりました。
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母が素手で触ったものに抵抗がある
元々食が細く、野菜をはじめ苦手なものも多々ありました。
時代的に「お残しは許しまへんで」という風潮がまだまだ多分にありましたし、母をはじめ多方面から「食べろ」のプレッシャーがありました。
「近所の●●ちゃんの家なんか、残したら次のごはん抜きなんだからね? うちもそうするよ?」というのが日々繰り広げられていました。
嫌々ながら、えずきながら、なんとか食べていたものもありました。
けれども、体調不良のときの親の態度にショックを受けたことで、「体調を崩しても誰も寄り添ってくれないのだから、体調を崩すだけムダ。損失しかない」といった感じに捉えるようになりました。
そうして私は、母が素手で触ったものを口にできなくなりました。
皮をむいたりんごとかみかんとかもダメでした。
母が素手で触ったものは、実際に母の手のにおいがついているような気がしたのです。
ごくわずかでも、とても不快なにおいに感じました。
なんらかの毒素がいるような気がしました。
それ以前からかなり頻繁に腹痛を繰り返していましたから、「母の作ったものはやばい」と脳が勝手にインプットしてしまったのかもしれません。
さらに母はもともと衛生観念が破壊していて、手なども滅多に洗わないタイプの人だったので、「母=汚い」と無意識のうちに認識していたのかもしれません。
(今思うと不思議ですが、加熱してあると平気だったので、やはり身体が自然と安全なものを選んでいたようです)
体調崩すより餓死するほうがマシだと思っていた
基本的には母の言いなりだった私ですが、「あやしげなものは食べない」だけは絶対に貫こうと思いました。
いくら母が「野菜食べないならごはん抜き」と言おうとも、「食事抜きでけっこう」と思いました。
「体調崩してあんな辛い思いをするくらいなら、餓死するほうがマシ」と本気の本気で思っていたのです。
私があまりにも食べないので、かかりつけの医師のところに連れていかれましたが、「なあに、食べられるものを食べればいいよ。100%のりんごジュースだって栄養あるんだから」とおっしゃってくださって、それ以来、母も必要以上には言わなくなりました。
(かかりつけのお医者さんには本当に幾度も命を助けてもらいました。あの先生がいなかったら本当に死んでたのでは、と思います)
常に「食べたくない子」ですから、外から見たら「扱いにくい子」に見えたでしょう。
世間的にも「お残しは許しまへんで」の時代でしたし。
でも、私にとっては命に関わるような、とても大事なことだったのです。
この体験から学ぶこと
理由は、ある
大人からすれば子どもの偏食は理解できないかもしれません。
けれど、子どもからすると、命に関わるような恐怖心だったりもするのです。
実はアレルギーもちで、実は身体が拒否しているというケースもあります。
だから、無理やりに食べさせ続けることはできる限り控えてもらいたいと、体験者として思います。
最近はアレルギーへの理解も深まりましたし、学校給食の完食指導などもマイルドになってきているそうなので、「良い時代になったなあ」と思います。
けがの功名的な面
あやしげなものを避けたおかげで、それ以来ひどくお腹を壊したことはありません。
ということは、「けがの功名」的な面もあるのかもしれない、と今これを書いていて思いました。
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