育った環境を改めて客観視する作業をしています。一覧>>>私はいかにしてアダルトチルドレンになっていったのか
子どもの頃はトイレ以外、部屋から自由に出ることは許されませんでした。
玄関も使用できず、窓から出入りさせられていました。
広告- - - - - - - - - -
軽めの軟禁
私が小学校1年生の途中まで、父方の祖父母と同居していました。
母からすれば義理の親なので、そもそも息がつまる関係ということはよくわかります。
母だけ地方から嫁いできた身ですから、心細さもあったでしょう。
父とすでに不仲(>>>激しい夫婦喧嘩は子にとっては身を切られるような思い )でしたからなおさら。
孤独を深めた母は「自分だけ追い出されて娘をとられるのではないか」という被害妄想的な考えに囚われるようになったようです。
(今思えば母には発達障害傾向があったので、そもそもの認知のゆがみがあったのかもしれません)
とにかく私と祖父母を接触させたくなかったようです。
いつしか私は、部屋から自由に出ることを許されなくなっていました(トイレ以外)。
6畳間に押し込められる息苦しさ
さすがにトイレは自由に行けましたし、幼稚園も学校も行きましたので、「軟禁」とまで言えるのかわからないのですが。
基本的には、母と共同の6畳間から出ることができませんでした。
私が部屋を出れば、明らかに母の機嫌を損ねるのです。
子どもの頃は「そんなに祖父母ってヤバい人々なんだ」と思っていましたが、今思うとヤバかったのは母なんですよね。
玄関も使用禁止
もっと以前から、幼児教室に行く時は窓から出入りさせられていました(通わせているのを父や祖父母にバレたくない母の指示による、ACが育った家庭を振り返るーダブルバインド )。
でも、その頃はまだ、たまに玄関を使うこともあったように思います。
しかし、幼稚園の年長ごろからだったか、ほぼ全面的に玄関を使用することも禁じられるようになりました。
部屋の窓の下に靴を置いて、そこから出入りさせられていました。
自己肯定感が下がっていった
トイレに行くことはできましたし、一応は「(不便だけど)問題ない」と見ることもできます。
でも確実に、じわじわと自己肯定感が削られていきました。
なんとなく「私は玄関すら使わせてもらえないレベルの人間なんだ」という気持ちになるんですよね。
部屋から自由に出られないことで「自由がないのだ」ということも、心の奥底で実感せざるを得ないですし。
すると、悪い意味での「諦めの境地」に達してしまうというか。
私を長年蝕んだ「学習性無気力」はこの軟禁体験からもきているように思います。
広告- - - - - - - - - -
今思うこと
ゆるくではあるけれど軟禁されていたこと、これ自体に長らく気づいていませんでした。
育った環境をイチから振り返っていてやっと「あれは異常だったな」と思えるようになりました。
ずっと悩んできた行動力の低さ、悪い意味での諦めのような気持ちも、ルーツは軟禁体験にもあるな、と感じます。
でも、こればっかりは子ども時代のことなので私にはどうすることもできなかった。
運が悪かったと諦めるしかないので、無力感でいっぱいです……。
唯一うまく利用する方法としては「あれ(軟禁状態)に比べたら今はパラダイスだわ」と思うことくらいでしょうか。
大人になり、母とも絶縁した今、どんなに辛いことでも「あれに比べたらマシ」となりますのでね。
昔は「暴力さえなければ問題なし」という感じで、精神的な虐待は認識すらされていませんでしたから。そういう意味では良い時代になってきたなと思います。
ほかの記事
【記事一覧】母への嫌悪感に気づいてから絶縁にいたるまでのこと
【記事一覧】私はいかにしてアダルトチルドレンになっていったのか
広告- - - - - - - - - -