母への嫌悪感に気づいてから絶縁に至るまでの出来事を見つめなおしています。>>>記事一覧)。
学生のころから悩んでいた不潔恐怖・疾病恐怖が、仕事のストレスや睡眠不足で悪化。
「外の世界=汚染されている」と思うようになってしまい、外出がこわくてたまらず、できるだけ避けるようになっていきました。
広告- - - - - - - - - -
外界がこわくてこわくてたまらない
学生のころは、まだなんとか日常生活に適応できていたものの。
仕事のストレスと、それに伴う睡眠不足によって、不潔恐怖・疾病恐怖が日に日に悪化していきました。
まず、最寄り駅に行くまでが怖い
たとえば飲み会シーズンなんかだと、駅の周辺って、汚れていたりしますよね。
駅付近なら駅員さんや清掃の方が対処してくださってますが……駅から数メートル離れた路上なんかだと、まあ、何日も放置というケースも。
普通は「不快だな」程度で終わるのでしょうけど、当時の私は、そこから数日、いや何週間も引きずってしまっていたのです。
「もしあれに胃腸炎系のウイルスが入っていたら……風でホコリとともに舞ったものを吸い込んでしまったかもしれない……とすると、明日か明後日に具合が悪くなってしまうかもしれない」と。
一瞬考えるだけなら別にいいのですが、その「具合が悪くなったらどうしよう」が頭にこびりついて離れないのです。
何日か経過しても、「今まさに乾燥しやすくなっていてホコリに混じって舞っているのでは」と憂鬱な気分になってしまうのです。
駅ホームも怖い
駅の場合は、掃除してくださっているケースがほとんどなので、そこは大変ありがたいのですが(掃除する方の大変さを考えると……本当に頭が下がる)。
でも、ホームがアスファルト系の場合、痕跡がハッキリと残ってしまっていることがありますよね……。あれがもう恐ろしくておそろしくて。
毎回塩素系消毒剤で消毒をするわけでもないと思うので、ウイルスが含まれている可能性もゼロではない、、、とやっぱり考えてしまうのです。
「気にしすぎ」「そこまで確率高くない」のは自分でもよくわかっているのですが、どうしても恐ろしいのです。
電車内も怖い
以前の記事(不潔恐怖・疾病恐怖)で書いていますが、実際に被害に遭ったことがあるので、やっぱり電車は怖いです(いまだにちょっと苦手)。
当時通勤に使っていた電車はそこまで混雑もしていなかったので、「逃げられない」みたいな不安は少なかったのですが。
座席などが汚染されていないかを本気で心配していました。
パッと見、汚れていなくても、数日前に何かあったかもしれない。
ふき取るだけで消毒していなければ、シートの繊維内に入り込んでいて、それが立ったり座ったりのタイミングで舞うかもしれない。
座ってしまったら、自分の衣服に付着して、自宅に持ち帰ることになってしまうかも。
できる限り座席シートに座らないようにしていましたが、人と一緒のときは「なんで座らないの?」と訝しがられたりするので……「おかしいと思われたくない」気持ちが勝ってしまい。
「うわー、ウイルスがついてしまうかも」と震えながら座ったりしていました。
その後「あーあ、さっき電車でシートに座っちゃったから、服に付いているかも」としばらく憂鬱を引きずるのでした。
トイレはもっと怖い
風通しのよい路上ですら「ウイルスが舞っているのでは」と恐れているのですから、ましてや個室空間のトイレなんて怖くてたまりません。
キレイに見えても、私が入る前に具合の悪い人が入っていたら……蓋を閉じずに流していたら……個室空間にウイルスが舞っているかもしれない。
しかも、そうやって脅えているときほど、汚れている現場に遭遇してしまうので(これは本当に不思議なほどでした……)、「やっぱり外は汚い!」と観念を強めてしまい、ますますトイレに行くのが怖くなってしまいました。
自業自得だが帰宅後もめんどくさい
外でウイルスをもらったと思い込んでいるので、帰宅後もいろいろやらねばならないことがあり、それもまた自分で自分の首をしめていました。
コート類は室内に持ちこめないので玄関にかけ、心配なときはアイロンの高温スチームを当ててウイルス除去(のつもり。実際にできていたかは不明)。
電車などで外出先で座ってしまった衣服は、タオルなどとは別で洗わねばならないので別途保管。
手洗い、歯磨き、うがいを念入りに行って、そのあとスマホなどを消毒。
髪などに見えないウイルス付着している可能性もあるので、シャワーを浴び、全身を洗う。
ここまで終えてやっと、室内で休むことができるのでした。
外出と帰宅後のアレコレがセットなので、外出の面倒くささに拍車がかかりました。
感染症の流行状況に一喜一憂
上記のように目いっぱい対策していてもなお、「近くに感染者がいたらアウト」なわけで。
となると、全国的な感染者が多いほど、身近にもいる可能性が上がるわけで。暇さえあれば感染者の推移がまとめられたレポートを必ずチェックするようになりました。
流行期の冬はだいたい絶望していました。
生きていること自体が「危険」という感じで、常に恐怖感と戦っていました。
広告- - - - - - - - - -
今思うこと:ストレスに比例して悪化
不潔恐怖・疾病恐怖も、学生のうちはまだ「手洗いうがいをきちんとすればまあよしとする」くらいで、なんとか折り合いがついていました。
社会人になってすぐのころもまだそこまで酷くはなかったように思います。
しかし、ストレスが溜まるとすべてのことについてネガティブにしか考えられなくなっていきました。
そんなときに、職場でも感染の報告がちらほら出たり、具合が悪くなって早退する同僚の姿を見るようになると、同僚の心配なんかよりも先に、「明日は我が身」と恐怖感でいっぱいになるのでした。
具合の悪い人を心配するのが先だと頭ではわかってはいるのですが、脳が恐怖で暴走してしまう感じで、どうにもできなかったのです(症状としてはおそらく強迫性障害に該当するのだろうと思います)。
なんとか会社には行っていましたが、それ以外の用事で外出することは極力避けるようになっていきました。
今思うのは、「明らかにおかしくなっているのだから、一旦立ち止まって、仕切りなおす必要があった」ということです。
しかし「精神科に行ったら親を悲しませる」(「嫁に行けなくなるから精神科に行くのは許さない」と保険証を隠される)とか「仕事を休んだらこの世から弾き飛ばされる(=親に見放される)」といったまた別の恐怖心があって、苦しみの泥に足を取られていました。
ほかの記事
【記事一覧】母への嫌悪感に気づいてから絶縁にいたるまでのこと
【記事一覧】私はいかにしてアダルトチルドレンになっていったのか
広告- - - - - - - - - -