母への嫌悪感に気づいてから絶縁に至るまでの出来事を見つめなおしています。>>>記事一覧
人工関節の手術後、「リハビリ病院=老人介護施設」と勘違いした母は、転院を断固拒否(入院先で「ここから飛び降りて死ぬんだから!」と大騒ぎした )。
そしてほとんど歩けないまま、退院を強行。
当然運動不足になりますし、せっかく人工関節を入れたにも関わらず、足腰の不自由さはむしろ増していきました。
それに伴って、少し前に発症していた持病(脳神経系)も悪化したと思います。
さらに。
あれだけ全力で拒否したくせに、しばらく後になって「あーあ、リハビリ病院、行っておけばよかったわあ」などと発言する厚顔無恥ぶりでした。
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「ここから飛び降りてやる!」からの退院を強行
「リハビリ病院行くくらいなら、ここから飛び降りて死ぬんだから!」と大騒ぎの結果。
「いや、老人介護施設とかじゃなくて、シンプルにリハビリ……」と誰がどれほど説明しようにも、母は「姥捨て山に捨てられる!」と完全んい思い込んでいるので、どうすることもできませんでした。
「こ、この歩けない状態で家に帰っても……どうするんだ??」
私も困りはてましたが、相談できる人がほとんどいませんでした(だいぶ昔に夫婦関係が破綻していたため、父は当時、母の案件はノータッチでした)。
まだ「毒親」などの概念も広まっておらず、「親は大切に」とあちこちで言われていた時代でしたから、下手に相談しても「まあ大変だけどあなたがやるしかないでしょ」と言われるのは予想がつきました。
周囲の友人で、親にこんなに振り回されている人もいないように見えました。
唯一の相談相手は伯母(※現在は疎遠)で。
その伯母が「もう仕方ないから退院させなさい」と言うので、退院を認めることになりました。
が、今思うと、この決断が誤りだったと思います。
ソーシャルワーカーなどを紹介してもらえばよかった
伯母に相談したのは誤りでした。
というのも、伯母は母の親代わりのようなところがあったからです(祖母は母の面倒をほとんど見なかったらしいのです。ある意味、伯母も被害者といえるのですが)
伯母は、結局のところ母の味方であり、私よりも母のほうを優先する人でした(母親代わりなのだから、ある意味当り前かもしれませんね)。
だから伯母は、私にかかる負担よりも、母の主張のほうを採択してしまうわけなんですよね。
今思えば伯母の定番コメントは「あんた、お母さんに〇〇してやんなさい」でした。
これには「あんた(=私のこと)が我慢すりゃいい」という言葉が隠れていました。
当時はそのことを認識できていなかったので、私も反省ですが。
なので、伯母に相談するのではなく、看護師さんなどに「母はああ言っていますが、ごらんのとおり一人では生活がままなりません。私も別居していてサポートできませんので、なんとか解決策を探したいです。こういうときは誰に相談したらいいですか?」と聞いてみればよかったのです。
そうしたら、ソーシャルワーカーなどを紹介してもらえたかもしれません。
もしくは、精神科につないでもらえたかもしれません。
今の私なら多少の知恵がついていますし、インターネット上の情報も充実していますから、調べることができたでしょう。
けれど、当時まだ20代、それも親に否定され続け生ける屍の状態、仕事にも追われ、私自身の精神こそが危うく(不潔・疾病恐怖、皮膚むしり症、会食恐怖、眠れない、外出がこわい…etc)、なんとかだましだまし生きている状況でした。
とてもじゃないけれど、「これ以上考えたりするの、無理」でした(ストレスって思考能力を明らかに下げますよね)。
また、口を開けば「あんたはワガママ」と長年裁かれてきたので、質問したり交渉するのがとても苦手でした。
相手がどんな人であれ「こうしろ!」とつよく言われたら自動的に従ってしまうようなところがありました。
だから、「この歩けない感じでどうやって生活するのかわからないけど、仕方ない」とあきらめてしまいました。
諸々悪化する
ロクに歩けないのに無理に退院したわけですから、どう考えてもフォローが必要です。
本来なら私がしないといけないのでしょうけど……会社から実家まで3時間かかるので、仕事を22時とかに終えた後、そこから毎日帰るのは現実的に無理でした。
ある程度放置するしかありませんでした。
結果、母の移動はすべてタクシー(バスは段差が無理)。
(元から料理しない人ですが)食事はすべて向かいのコンビニで調達(まあ家のすぐそばにコンビニがあったのは幸運とはいえるかも)。
当然、お金がかさんでいきました。
母は収入がなくてもクレカのリボ払いやキャッシングを平気でしてしまう人。
(管理しようとしても、人の目を盗んでこっそり借金をしたりする人です)。
手術代や入院費は私が出しましたが、この時期、私は月15~25万ほど父にお金を貸していたので、もう本当に勘弁という気持ちでした(仮に経済的に余裕があったとしても、心情的に無理)。
「あー、また借金増えるんだろうなー(棒読み)」と、ただ眺めることしかできませんでした。
そのクレカの支払い残はいまだに残っています。
「リハビリ病院、行っとけばよかった」
それからしばらく経っても、母の歩行状態はあまり改善しませんでした(リハビリしていないのだからあたりまえ)。
すると母は、こう言いました。
「あーあ、手術の後、リハビリ病院行っておけばよかったわ。あんたなんですすめてくれなかったのよ」
は……はい?????
いやいやいやいやいやいやいやいやいや。
私も看護師さんも伯母すらも、みんなあれだけ言ったでしょうよ。
何時間も話したでしょうよ。
リハビリ病院行くくらいなら死ぬって言ったのそっちでしょうよ……。
もうほんと、記憶どうなってるん……この人
首が折れるかと思うほど、ガックリ来ました。
母は昔から記憶を都合よく書き換えるところがあり、今思えば、何かしらの障害や病気だったのだと思いますが、当時はわからなかったので、本当に腹が立ったし、どうしようもない徒労感でいっぱいでした。
今思うこと
この件に限らずですが……
もし母に「なんからの障害がある」とわかっていれば、あんなに数々の言動に振り回されずに済んだかもしれない、と思います。
せめて、まともな大人が周囲にいればよかったんですが……。
祖父母と接触禁止にされたり、友人と遊ぶのを制限されたりと、閉鎖的な空間で育てられたことも、私の視野を狭窄させました。
今は、ンターネットもあり、さまざまな障害や病気などの知見も広まって、少しはいい時代になったな、とも思います。
人の言葉を鵜呑みにしすぎない
やはり私の苦しみの原因の一つは、
「間違っている人の言葉を信じてしまった」
「あんたのために、といいつつ、その実本人のために発言している人の言葉をそのまま信じてしまった」
ということだと思います。
毎回「おかしいな」と思っても、親の言葉の影響は大きかった。
子にとって、親ってやっぱり大事なんですよね。
この「おかしいな」にもっときちんと向き合う必要があったのでした。
だから、親に限らず、生きていくうえで「なんかこの人イヤなこと言ってくるな」というとき、「私が間違っているのかな??」だけではなく、「言ってくるほうにも問題があるのではないか」ということも、同時に考えないといけないなと思います。
まあ、他人の言うことは鵜呑みにしないということですね。
いくらそれが正しそうであっても。
もし「ああ、たしかに」と納得感があるのなら、修正すればいいだけのことで。
間違っている人の言うことを聞いていると、間違った方向に進んでしまうのです。
壊れたカーナビに従って移動していたらとんでもない場所に連れていかれてしまうのと同じように。
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