母への嫌悪感に気づいてから絶縁に至るまでの出来事を見つめなおしています。>>>記事一覧。
若いころ、”今”がつらいので、はやくなんとかしたくて焦ってしまい、諸々を犠牲にして頑張ってしまうようなふしがありました。
でも、目標の立て方が誤っているので、いつまで経っても満たされませんでした。
自分の「現実」を見ることができず、自分とあまりにも乖離した「理想」ばかり掲げていたのが原因でした。
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「未熟者」と見なされるのが嫌で力づくで頑張ってしまう
劣等感のせいで不要なプライドが高くなってしまい、職場での「新人さん」扱いがイヤでした。(>>>反抗期に反抗できないと社会人になっても引きずってしまう)
「でも結局は、私が力不足だからいけないんだよね」と思っていました。
「だったら、未熟者と見なされないために、努力しよう」と。
一見、努力するのは「よい事」のように見えるかもしれません。
しかし私の場合、「諸々を犠牲にして力づくで頑張ってしまうので、後々別のところにひずみ(困りごと)が生じる」ことに気づいていませんでした。
社会人になってもなお、死ぬ勇気がないので、力づくで「理想の私」に近づけるしかないを繰り返してしまったのです。
心に鞭を打っているような気持ち
「未熟者と見なされないように努力しよう」と思えど、もともと嫌々働いているのですから、常に心の中にあるのは不満。
すると、「頑張らなくちゃ」という意思と「つまらない・嫌だ・つらい」という気持ちが綱引きを始めます。
「つまらない・いやだ・つらい」系の気持ちは、子どものころからの蓄積もあります。
そこに何年も圧を加え続けているので、すでにかなり大きなものになっていました。
それに打ち勝とうとすると、「頑張らなくちゃ」のほうを相当応援しなければいけなくなります。
「あー、このままじゃダメだ! 頑張らなくちゃ、頑張らなくちゃ、頑張らなくちゃ」と呪文のように自分に言い聞かせているとき、自分の心に自分で鞭を打っているような気持ちでした。
ちなみに、この綱引きの構図もまた、過去にもさんざんやっているのです(→勉強を手放したいのに、勉強に執着して「イップス」的な状態に)。
懲りていないですよね……その場だけしのいで本質を解決していないので、繰り返してしまったのだ、と今はわかります。
休憩がうまくとれない
「頑張らなくちゃ」一辺倒なので、休憩もうまくとれません。
とにかく気持ちが焦っていて、「休憩なんかしている場合じゃない」と思ってしまうのです。
また、人目を気にしてしまう問題もありました。
ベテラン勢や先輩が休憩室にいらっしゃれば、それはそれで気を遣うので、逆に休んだ感じがしなかったのです。
先方が気を遣って話しかけてくれたりすれば、「今の返答で合ってたかな!?」と自分を精査しなければいけなくてヘトヘトに。
常に監視&批判してくる親の元で育つと、他人はもっと厳しい目で私のことを見ているに違いないと思い込んでしまうのです。
当然、効率が悪い
休憩もせず、ずっと「頑張らなくちゃ」と鞭を打ち続けるわけなので、それだけですでに気力を消耗します。
アクセルとブレーキを同時にベタ踏み状態ですから、結局仕事の進みも遅いのです。
ガソリン(エネルギー)を消費しているわけですから、早々に疲れます。
毎日15時ころには会社を飛び出したいような気持ちでした。
セキュリティなどの事情で建物自体に自由に出入りできないシステムでしたので、それもまた私を(気分的に)追い詰めました。
焦れば焦るほど、うまくいかない
いくら焦ったところで、急に何かが変わるわけでもありません。
仕事の実務的な面でも、新人が焦ったところでいきなり10年選手と肩を並べられるでもありません。
仕事はとくに、経験が寄与する面も大きいですからね。
にもかかわらず私は、いきなり「一人前(しかもデキる人)」になろうとしてしまったのです。
現在の自分と理想が乖離しまくっているので、頑張れば頑張るほど、「こんなに頑張っているのに、全然認められない」とさらに焦りを招いてしまうのでした。
睡眠時間を削ってしまう
すでに頑張っているわけですから、それ以上に、となると、もう、とれる手段は睡眠時間を削ることでした。
残業もみっちりやって、さらに始業の1時間近く前に出社するようになりました。
一見、一生懸命に仕事をしている風ですが、その頭の中は仕事ではなくて、「あーあ、できない自分が嫌だ」とか「こんなはずじゃなかった」とか「どうして私の人生こんなことになってしまったのだろう」でいっぱいです。
睡眠不足もあり、さらに思考は鈍ってゆきます。
結局のところ、仕事をしているようで、何もしていなかったのです。
(これも勉強を手放したいのに、勉強に執着して「イップス」的な状態になるの構図……)
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この体験から学ぶこと
非現実的な理想ばかり立てていた
名実ともに新人なのに、いきなり「できる人」になろうとしてしまいました。
目標の立て方を間違えていました。
今ならおかしいとわかるのですが、当時は全然わからなかったんですね。
というのも、子どものころの、防衛装置が起動したままだったから。
両親の意見が違いすぎるがゆえ、片方に従えばもう片方の機嫌を損ねた( 夫婦間で意見の統一ができていないと、子は「生きながら同時に死ぬ」ことになる)経験から、「誰からも認められる完璧な私」であることが必要だったのです。
その「私が完璧であればすべては丸くおさまるはず」という考えを、大人になってもなお、引きずってしまっていたのです。
けれど、よく考えてみれば、人によって、なにが「完璧」かは異なりますよね。
たくさんの人が集まる職場ならなおさら。
ということは、人間である以上「すべての人にとっての”完璧”」になることは不可能。
不可能なことをやろうとしていたからこそ、私は「いつまで経っても満たされることのない、生ける屍」だったのだろうと思います。
睡眠時間削ってもいいことない
睡眠不足は酔っぱらっている状態と同じだ、なんてよく言われますが、本当に睡眠時間削ってもいいことなかったです。
会食恐怖、不潔恐怖、疾病恐怖、皮膚むしり症……すべてのことが悪化していきました。
ショートスリーパーのような特殊体質なら別かもしれませんが、そもそも体力のない私が、睡眠を削って頑張ったとしても、その分どこかで代償を払うことになるのでした。
ほどほどのところで頑張る、続けられる程度に頑張る、ということがいかに大事か、今ようやくわかるようになりました。
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