痛みを成仏させるため、過去を改めて客観視する作業をしています。
(【もくじ】いかにして私はアダルトチルドレンになっていったのか【体験談】)。
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嫌々受けた就職試験
就職するのが嫌で嫌でたまらない(が、自分を貫く気力もなくひたすら絶望していた)私ですが、消去法的に就職する道しかなく。
仕方なく就職活動をしていました。
ですが、嫌々活動していることが透けて見えたのでしょう、売り手市場だったのに、いまいちうまくいきませんでした。
だって、志望動機も、一応それっぽいことを書いてはいますが、心のなかでは「仕方なく」ですからね。
何千人も学生を見てきた面接官にはバレていたのではと思います。
さすがにもう決まらないとまずいぞという時期になって、ようやく「”仕方なく”をいったん封印して、やる気ある風に見せるか」という気になりました。
その直後に受けた会社の、筆記試験でのことです。
筆記試験で
私が受けた会社では、筆記試験があり、いわゆる「SPIテスト」に近いものだったと思います。
そのなかに、「性格検査」という項目もありました。
「社交的か」とか「一人で取り組むほうが好き」とか、そういうやつですね。
あてはまるとかあてはまらないとかを直感で答え、マークしていくものです。
あまり深く考えずに、ポンポンと答えられていたのですが、ある質問を目にしたとき、手が止まりました。
「母親のことが好きか」
というもの。
あてはまるとかあてはまらないの前に、「えっ??」と戸惑ったのを覚えています。
「な、なんでそんなこと聞くの?」「就職試験に関係あるの?」と。
なにか、よからぬ答えが湧き上がってきてしまいそうな気がして、慌てて思考を働かせました。
「ええと……普通はみんなお母さんのこと好きなんだよね? ということは、この問いには「あてはまる」を選べばいい、んだよね??」
直感で選ぶよう言われていましたが、一問くらい頭を働かせてもいいだろう、と。
しかし、「あてはまる(=母親のことが好き)」のマーク欄を塗りつぶそうとするも、全く手が動かないのです。
胸のあたりというか、お腹の底のあたりがムカッとさえする。
そうしているうちにも、時間はどんどん進んでいきます。
「母親のことが好きか」は一旦置いておいて、とりあえず最後まで急いで答えることに。
すると「父親のことが好きか」という問いもありました。
100%好きかというと……まあ、父は父で難しいところがあるのでなかなか苦しいですけれども……まあ「(ものすごくがんばれば)あてはまる」かな、と。
少なくとも「少しあてはまる」くらいはギリギリなんとか。
じゃあ、まあ、ここは大サービスして、「あてはまる」でいいか、とマーク欄をぬりぬり。
そして、空欄になった箇所に戻ります。
父のことが好きなら、母のことも好き、でいいじゃないか。
育ててくれた両親に感謝、的な感じで。
でも、どうしても、どーーーーうしても、ダメでした。
どうしても母については「あてはまる(=母のことが好き)」を塗りたくないのです。
そしてやっと、認識しました。
「私、お母さんのこと、絶対的に嫌いなんだ……。思考でねじ伏せられないほど、嫌いなんだ……」
試験の最中でありながら、本当に驚きました。
母のことが嫌いと気づいたとたん、人の道から外れたような気がした
「お母さんのことが嫌いって、私、人としてやばくない?」と。
「いろいろあったにせよ、一応は、育ててもらったんだよ?」と。
「親は大切にするべきだし、子供にとってお母さんって、無条件で好きな存在なんじゃないの?」と。
今でこそ、「毒親」とか「母娘関係は難しい」とか、親子関係に関する理解が進んでいますが、当時は「お母さんのことが嫌い」だなんて言っている人、周りにも、有名人にも、いなかったんです。
だから、私がおかしいのだ、と思いました。
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嘘をつくことにした
試験終了時間まであと数分。
「どうしよう……。正直に答えたいけれど……〈あてはまらない(=母のことが嫌い)〉を選んでしまったら……なんだか落ちそうな気がする」
もしも私が雇う側の人間だったら、「母親のことは嫌いです」と言う人は、雇わないかもしれない、と思ったからです(※)。
(※「親は大切に」という「常識」に私自身が囚われていたからであり、合否に関係するかはわかりません)。
でも、ここで就職先が決まらなかったら、学校関係など、多方面に迷惑をかけてしまいます。
何よりも、すでに父が早期退職していたので、経済的な猶予がありませんでした。
そして、鉛筆を持つ右手に左手も添えて、無理やり「あてはまる(=母のことが好き)」のマーク欄を塗りつぶしました。
あのときの苦痛というか、抵抗感は、いまだに忘れられません。
帰り道がつらい
試験の出来・不出来よりも「私は母のことこんなにも嫌いだったのか」ということに衝撃を受けていました。
そしてのしかかる、どんなに嫌いでも、母のいる家に帰らないといけない、という現実。
どんなに離れたくても、母の娘であるという事実を変えることはできない、という無力感。
しかもこの無力感、なんとなく知っている感じなんです。
実は子どもの頃から、認識できていなかっただけで、幾度となく感じていたのだ、と気づきました。
それほど辛かったのに、「お母さん嫌い」とまでは思うことができなかった……。
そんな自分が情けないような気もしました。
でも、どうにもできなかった。
親子だから。
血がつながっているから。
すぐに何かを変えられるわけでもなかった
この日私は、何事もなかったような顔で帰宅し、母とも「(就職試験の出来は)まあまあなような気もするけど自信ない」などと、普通の会話をしました。
そうしてその後も数年間、「これまでの私」を装いました。
その一方で、もう以前の自分には戻れないような気もしていました。
だって、気づいてしまったのだから。
結局、5年くらいかかりましたが、のちに絶縁に至りました。
母への嫌悪感に気づいて以降のことは、このページにまとめています。
【もくじ】母への嫌悪感に気づいてから、絶縁にいたるまでのこと【体験談】
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