若い頃は血眼になって探したけれども、「コレ!!!」というほどの特別な能力は見つからず(残念……)。
特異的な才能のある人がうらやましくて悶えたこともありますが、年齢を重ねていくうちに「体力も気力もない私は、負担なくできることをコツコツやるしかない」という安定点に落ち着いてきました。
良い意味での諦めというか、等身大の自分を受け止めたというか。
「できることをコツコツ」とわかっていても、「もしかしてもしかすると、まだ見出されていない能力があるではないか」と、(中年にしては)やや痛いことが頭をよぎることもまだまだあります。
その「もしかしてもしかすると」感が本書のタイトルに反応してしまいました。
坪田信貴『才能の正体』幻冬舎(2018)
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どんな本?
著者は、「ビリギャル」の本で有名な坪田氏。
学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話[文庫特別版] (角川文庫)
- 作者:坪田信貴
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/アスキー・メディアワークス
- 発売日: 2015/04/10
- メディア: 文庫
私は『学年ビリのギャルが……』のほうは読んでいないのですが、テレビ番組などでも結構紹介されたりしたので、なんとなくは知っています。
(本筋と関係ないですが、『ビリギャル』は内容も良いのでしょうけど、表紙が秀逸だなあ、と思います。石川恋さんの表情がいいのか。
この表紙でなかったらここまでヒットしなかったのでは、とすら思ってしまいます)
で、この「ビリギャル」についてですが、「学年ビリって言っても、もともと頭いい学校じゃん」とか「この子の地頭が良かっただけでしょ」という声は多々あったようですね。
そういった声に対するアンサー本が『才能の正体』、といった印象を受けました。
全体を通して「才能とは何か」を考え、見つけ方伸ばし方について書かれています。
たくさんの生徒を指導していくなかで得られた知見なので、(ごくまれに例外はあるにせよ)ほとんどの人にあてはまるのだろうな、という感じはします。
才能の伸ばし方については親(あるいは上司、指導者)の関わり方がとても重要ですので、小さな子供さんのいる親御さんには特に参考になる部分があるのではないかと。
もちろん、大人が自分の才能について考えるのにも役立つと思います。
才能は正しい努力次第で手に入るもの
著者によれば、「才能(※)は誰にでもある」とのこと。
(※正確には「才能の芽」)
才能がないように見える人は、見つけ方と伸ばし方がわからないだけだ、といいます。
「才能は誰にでもある」とだけ聞くと「えっ?」と思ってしまいますよね。
だって、スポーツ選手なんか、明らかに運動神経や体格が優れていますから。
私は運動はまあまあ好きなものの、マラソンは超絶苦手(呼吸が苦しすぎて肺が破壊しそうになる)で、どんなに頑張って練習しようともせいぜいブービーだったので「絶対生まれつきの才能関わってるでしょ」と思ってしまいます。
そういったことも一応最後のほうでフォローしていて、スポーツなど「明確なルールのあるもの」に関しては、そのルールに即していないと成功は難しい(例:バスケットボール選手は背が高いほうが有利など)、と認めておられました。
ただし、勉強やビジネスに関しては、基本的にはルールがないので、伸ばし方次第、とのこと。
まあ、これも個人的には正直「むーん」と思ってしまうんですけど……。
理解力の差はあるし、少なくとも向き不向き(好き嫌い含め)は絶対にあると思ってしまう。
ここで、ポイントになってくるのが「才能とは何か」という話。
一般的には「才能=生まれつきの能力、素質」と考える人が多いのではないかと思います(私もそう思っていました。広辞苑にもそう書いてあるし)。
著者は才能を「生まれつきのもの」に限定せず、「正しい努力次第で手に入るもの」としています(そのように定義している辞書もあるようです)。
確かに、後天的に培った能力も含めて「才能」とするのであれば、著者のいわんとするところは理解できます。
「才能がある」と言われている人たちは、
”その人に合った”動機付けがまずあって、
そこから”正しいやり方”を選んで、
”コツコツと努力”を積み重ねている。
坪田信貴『才能の正体』幻冬舎(2018)Kindle版 位置No.239
・自分が納得して、やる気になっている(やらねばならないからやるのではなくて、本心からやりたい)
・自分に合ったやり方で
・さらにコツコツ継続
すると能力は伸ばせるというわけですよね。
これはたしかに納得で、自分の経験と照らしても、その通りだと思います。
どれか一つ欠けてもダメですよね。
特に動機付けのところで、「他人の目を気にして」とか「やるべきだから」と始めるとまず、続きませんよね。
内なる情熱みたいなものがないと。
だから実際にはかなり難しいんですけど。
没頭できるものや、これは負けないというものが見つかったなら、やり方次第で才能に化ける可能性がある、ということ。
大人であっても、「人生100年時代」と考えると、40歳で始めてもけっこう時間がありますからね。
私の場合は、「没頭できるもの」や「負けないもの」はないので、やっぱり「あまり負担なくできることコツコツやる」というスタンスで続けていけばよさそうです。
本書では、能力の伸ばし方について、もっと具体的に書かれていますので、是非ご覧ください。
よかったところ
子や部下の才能を伸ばしたいなら客観的な事実のみ伝える
個人的に一番収穫があったのが「教育・指導・改善」の注意点。
これらは「良い行い」のように感じますが、信頼関係がないと、悪感情を生んでしまうそうです。
もちろん、指導する側は「良かれ」と思ってやっているわけですが、注意されたほうは、それまでの自分の行動を否定されることでもあるわけですよね。
だからこそ、主観を挟まず、客観的な事実だけを伝えるのが大事だそうです。
たとえば。
「姿勢が悪い! 目が悪くなるよ!」
ではなくて、
「姿勢が前かがみになっているね」
と事実を伝えるだけでいいそうです。
あるいは
「いつまでゲームしてるの! いつになったら宿題やるの!」
ではなくて
「〇時間もゲームを続けているね」
でOK。
やみくもに注意されると、反発心が起こったりしますが、客観的事実だけ伝えられると、自分から直そうという気持ちになりますよね。
人間は、その人のもっている「価値観」に従って良くなろうとする生き物なので、そこから外れていると気づけば自分で直そうとするんだそうです。
これは自分で自分を実況中継して、自分にフィードバックをかけるときにも有効。
何かを直すときに「〇〇しろ」と命令する必要はないのです。
坪田信貴『才能の正体』幻冬舎(2018)Kindle版 位置No.1968
本人に自力で気づいてもらうようにするしかない
坪田信貴『才能の正体』幻冬舎(2018)Kindle版 位置No.2059
客観的事実のみ伝える、すごく有効だと思いました。
私の母も、批判系の人間でしたので否定的な言葉をたんまりとかけられたのですけど、そのたびに「そっちこそ人のこと言えないじゃん」などと思ったりして、直そうという気持ちは失せましたね。
直そうという気持ちが失せているのに無理やり直そうとすると、「やりたくないのに従わされている」という不平ばかりが募って、悪感情だけが溜まっていきましたからね。
逆に、他人から悪意のないトーンで「さっき〇〇だったね」とか言われると、「はっ! そうだったんだ! 気をつけないと」と猛省したりしましたからね。
このやり方、子や部下に限らず、通常の人間関係でも使えそうですよね。
まあ、相手がよしとする価値観と自分の価値観がズレていたらどうにもなりませんが。
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おわりに
「なぜ勉強するのか」「受験勉強などで壁にぶつかったらどうするか」とか。
今となっては自分なりの答えが出せていますが、学生の頃はまったく迷走していましたので、「あー、学生のうちに読みたかった!」と思いました。
小さいお子さんを持つ親御さんとか、大学受験生なんかも、読むと参考になるのではないかと思います。