ししもとの読書ノート2.0

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どんな私で生きていくか、は自分で決められる |感想『超解釈 サルトルの教え』

サルトルの名は知ってはいたけれど、その哲学書は難しそうで、ずっと敬遠していました。

アドラーなどは一般向けの書籍もよく見かけるけれど、サルトルといったら岩波文庫くらいしか目にしたことがなかったような…。

この度、読みやすそうなサルトルの解釈本を見つけたので、早速手に取りました。

堤久美子『超解釈 サルトルの教え 人類最強の哲学者に学ぶ「自分の本質」のつくり方』光文社(2018)

超解釈 サルトルの教え 人類最強の哲学者に学ぶ「自分の本質」のつくり方

超解釈 サルトルの教え 人類最強の哲学者に学ぶ「自分の本質」のつくり方

 

 

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どんな本?

著者は25歳のときに、人生の師(通称:大先生)と出会ったそうです。
その大先生の教えというものが、サルトルの哲学に基づいており、それ以来サルトルに惹かれ、個人的に研究してきたとのこと。

本書では、著者と著者の大先生を足した存在を「サルトル先生」と呼び、悩みを抱えてやってきた人々の相談に乗る、という形で、サルトルの教えを解説しています。

 

よかったところ

「どんな私として生きるか」は自分で決めることができる

 モノは、先に本質があってから、実物が存在します。

どういうことかというと、最初に「字を書くモノが欲しい」という本質があってから、ボールペンというものができた(実存する)わけです。

一方で人間の場合、先に存在があって、本質は後から作れる、とサルトルはいいます。

目的がありきで存在しているのではなく、まず先に存在があって(赤ちゃん)、その後何になるか(例:先生、警察官、エンジニア…etc)決めるわけです。

決めるのは職業に限ったことではなく、「どんな私」かも決めることができます。
例えば、「どんなときもビビらない屈強な僕」とか「奇跡を起こす僕」とか。

「どんな私で生きるか」を決めることは生きていく上での軸となり、困ったときや迷ったときにも、自分を導いてくれます。

例えば、大事な試合の肝心な場面で緊張してしまうという場合、「屈強な僕」だったらどうするか、というのを考えると、すべきことが見えてくるわけです。

試合のときだけ「屈強な僕」だったら…と考えても思いつかないかもしれませんから、普段から「屈強な僕」だったらどういう行動するかと考えたり、実際に行動したりするのも大事なのでしょうね。


私自身は、日常的な場面でも不安になってしまったり心配してしまうことが多いのですが、なぜか本番になるとコロッと大丈夫なタイプです。

よく考えてみると、子どもの頃「あなたは本番には強いね」と言われたことが何度かあり、また「何事もなく本番を終えられた」という経験を重ね、無意識のうちに「本番に強い私」という軸ができていたのかもしれない、と思いました。

「どんな自分」かは一つに限定する必要はないと私は思うので(多すぎても混乱しそうですが)、環境や年齢に応じて追加したりしていけばいいのかな、とも思いました。

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その他の気づき

>>>事実と解釈を分けて考える |『超解釈 サルトルの教え』より - ししもとの読書ノート2.0

 

おわりに

自分の本質を自分でつくる。

そのためのヒントや問いかけがちりばめられている本でした。

読みやすいので、サルトル哲学の入口に適しているかな、と思います。

超解釈 サルトルの教え 堤久美子 | ノンフィクション、学芸 | 光文社