子どものころから、「うちの親、なにかおかしいよな……」とひたすら思ってはきたものの、「なにかおかしい」の詳細を見つめることができませんでした。
はっきり認識してしまうと、日々を耐えられなかったので、防衛反応の一種だったのだろうと思います。
ようやく気付いたのは24歳のときでした(就職試験の真っ最中に「母のことが絶対的に嫌い」と気づいてしまった)。
それまでの抑圧が大きかったぶん、自分でも衝撃的でした。
しかし、「母のことが絶望的に嫌い」と認識したからといって、すぐにどうこうできるものでもありません。
そもそもどうにかしようとも思ってすらいませんでした。
「親なのだから」と。
「嫌だ嫌だと思いながらも、このまま接点を持たざるを得ないのだろう、だって親なのだから」と。
しかししだいに、「あの人(母)が私の人生に存在することにどうしても耐えられない」と思うようになります。
結局、嫌悪感に気づいてから5年近く経過後に絶縁(※)にいたりました。
本記事は、母への嫌悪感に気づいてから絶縁にいたるまでの心の動きや出来事の一覧です。
過去の痛みを書き出すことは自己治癒の面が大きいので、読んでくださる方にはつまらないものかもしれません。
しかし「気づき~絶縁」まではとても苦しいフェーズだったので、どなたかの参考になるかもと思い、公開しています。
(※)法的には絶縁できないので、事実上疎遠の状態です。
嫌悪感に気づいてから絶縁に至るまでの約5年のこと
親の言うこと聞き続けた結果→人生に行きづまる
仕事も人間関係も苦痛でたまらない
・研修で「最近感動したこと」を問われて10年もさかのぼってしまった(苦しさが当たり前すぎて異常さに気づけない)
・職場の飲み会が苦痛でたまらない(のに人目を気にして嫌々行く)
・過剰適応でヘコヘコしているので圧の強い人や支配系の人に都合よく扱われる
・部下に花を持たせたつもりが「成果を横取りされた」と噂を流されてしまう
→気づき:劣等感を持っていると劣等感のある人とどうしても接点が生じてしまう
→気づき:苦しい人間関係には母の影があった
結婚に悩む:子どもがほしくない私は異常者なのか
・母の期待に応えつづけても…「あんたが独身なのがはずかしい」
・異性の友人や同僚の結婚式に呼ばれる度に「なんでその人に結婚してくれって言わなかったのよ」
身内が足をひっぱってくる
・伯母にお金を貸すのがつらい - 貸した3万が500円になる
・入院先でも大騒ぎする母「ここから飛び降りて死ぬんだから!」
どうしようもないほどに人生が停滞
精神的に崩れ始める
・過度の節約で狂いそう……こんなに働いているのにジュース1本で10分悩む
母のいない世界にいきたい……と悩む期
・「いったんすべてをリセットしないと私の人生は開けない」と思う……けどできない
・上司の言葉「お母さんの言うこと、聞く必要、ある?」→その場では受け入れられなかったけれど本質的な問いだった
・被災地に心を寄せる余裕もない自分に嫌気「もし今の”不満な私”のまま死んだら絶対に後悔する」
・面倒だからとトイレに行かず部屋で排泄する母をどうしても受け入れられない
堪忍袋の緒が切れた日のこと
堪忍袋の緒が切れた日のこと:「母に認められること・愛されることはこの先も一生ない」とやっとわかった【絶縁を決意】
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