ししもとの読書ノート2.0

自分らしく生きるために知識をつける

運がいい人は適切な選択を積み上げている|感想『哲学の先生と人生の話をしよう』

『哲学の先生と人生の話をしよう』を読んで、とくに納得感のあったところとその感想を記しています。
本記事では「運がいい」とはどういうことか、を考えていきます。

本の全体的は感想は>>>自分で考えるときに参考になりそうな本|『哲学の先生と人生の話をしよう』

運がいいとは?

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「知人が、客観的にみると不適切な判断をしようとしている。しかし、本人は聴く耳を持たずにいる。どう話せばよいか。」という相談。ここを起点に展開される運の良し悪しに関する考察がよかったです。

相談に対して著者は、自分にもそのような(これしかないと思い込んだ)経験がある。しかしその思い込みを、周囲からの指摘によって解除できた。それは「運が良かった」と述べています。

ここで、「運がいい」とはどういうことか、について考察しています。

 先日、とある数学者の方から、「運がいい人というのは、心身で行っている計算の量が多いのかもしれない」という話を聞きました。

引用元:國分功一郎『哲学の先生と人生の話をしよう』朝日新聞出版(2013)p.133

 

具体的にどういうことかというと。 

「運がいい」人は、これまで積み上げてきた厖大な情報処理に基づいて、無意識のうちに適切な選択をこれまた積み上げている。「運が悪い」人は、情報をできる限り排するようにして生きていて、計算結果を積み上げていないため、無意識のうちに行われている無数の選択の場面で利用できる情報のソースが乏しく、適切な選択が行えない。

引用元:國分功一郎『哲学の先生と人生の話をしよう』朝日新聞出版(2013)p.135

 

ここまでをまとめると、

運が良い人:情報処理能力が高い。膨大な情報を蓄積しており、適切な判断ができる。

運が悪い人:思い込みが強く、情報を取り入れようとしない。データが少ないので、適切な判断ができていない。

ということになるでしょうか。

これは納得できるな、と思いました。

例えば人工知能だって、入力する情報(経験則)が少ないよりも多いほうが、適切な判断を下せる可能性は高いですものね。

人間だって一つの考えにばかり固執しているよりも、多くのケースを知っていたほうが、(ある程度のバイアスがかかるとはいえ)その場その場でフレキシブルに対応できる確率は高そうです。

ただ、こうして両者を眺めてみると、情報処理能力には個人差があるし、どうしようもない部分もあるのではないか、とも思えますよね。

著者によれば

思い込みを排するぐらいのことは時間をかければできるでしょう。

引用元:國分功一郎『哲学の先生と人生の話をしよう』朝日新聞出版(2013)p.135

 

確かに、自分自身のことを振り返ってみると、思い込みが強いとき、意固地になっているときというのは、誰の話も入ってこないものです(むしろ、入れてなるものか、と思っている)。

視野はますます狭くなるし、焦燥感もあるし、確かにそんな状態では適切な判断など難しい。

思い込みを外し、いろんな意見が入るようにしておくって大事なのですね。

とはいえ、こちらをコントロールしようとして強めのアドバイス(を装ったコントロール)をしてくる人もいますから、全てを鵜呑みにするのではなく、様々な意見があることを知った上で、自分の本心も大事にしながら、選択していくというのが現実的なのかな、と思いました。


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参考文献

哲学の先生と人生の話をしよう (朝日文庫)

(文庫版のリンクしかなかったのでそちらを貼っていますが、私が読んだのはソフトカバーのほうなので、本記事引用箇所のページ数と文庫版のページ数とは一致しない可能性があります)