本棚の整理をしていて、久々に手に取った一冊。
旅行先の書店で買いました。
作家の米澤穂信氏が編集した短編集で、幻想感のあるお話が集められています。
各作品については、米澤氏のあとがきが秀逸なのだけれども、一応、私自身が思ったことを書き留めておくことにしました。
全作品についてちょこっと触れるつもりでしたが、意外と長くなってしまったので、とりあえず分けています。
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「源氏の君の最後の恋」マルグリット・ユルスナール(多田智満子訳)
源氏物語がモチーフとして使われている(けれど、原作と一致していないところも多いらしい。かくいう私は源氏物語を読んだことがないのだけれど)。
ざっくりとしたあらすじはこう。
50を過ぎ、隠居生活に入った光源氏。かつての恋人たちが会いに来たがるが、彼は忘却をのぞみ、断り続けます。
そうこうしているうちに、源氏の目は悪くなっていく。
そんな中、様々な姿に変身してまで源氏のもとにやってきたのが、花散里という女性(源氏の妻たちに忠実に使えてきた女房。美しくもなく、これといった才能もなかった。ごくごくまれに源氏が通ってくる程度だったが、ずっと源氏を想ってきた)。
(かつての知り合いだとわかると追い返されるので)花散里は正体を隠したまま、死の直前まで源氏の世話をします。
死の間際、源氏はこれまで愛してきた人の名前を一人ひとり挙げていくのですが、そこに、かつての花散里の名はなく……悲しみに打ちひしがれながら「こういう人いませんでしたか?」と聞いたときには彼はもう旅立っていた。
という感じのお話。
「忘却を望んだのに自身こそ忘却にとらわれていた」みたいな面もあるのですが、私としては花散里にやはり肩入れというか、共感してしまいました。
だれよりも真摯に思い続けてきたし、それなりに役に立ってきたつもりなのに、名前すら憶えられていないときの……あの悲しみ。
他に好いてくれる人はいるのに、本当に好きな人には一切何とも思われない現象、あれ何なんですかねー。そういう場合って、本当に何をどうしても、かすりもしないんですよねー……みたいな(わりとあるあるですよね?)。
いや、まあ、こちらが逆の立場になることもあるのでお互い様なのですが。
そういうときの心境を考えてみると、「端からそういう対象に入っていないので、どうしようもない、いくら尽くしてもらっても”好き”になることはない」ということなんでしょうか……。
まあ極端なたとえですけど、シチューが好物というわけでもない人にシチューを与え続けても「あ、どうも」くらいで好かれることはないし、むしろやりすぎたら嫌われますからね。
結局、需要と供給のバランスがとれていないということなんだろうか。
でも、手に入らないからこそ、余計に価値あるもののような気がしてきたりして執着が生まれるからタチが悪かったりもして。
難しいものですな。
おわりに
買った直後に読んだときはあまりピンときていなかったのですけれども、今回は妙に心にしみる話でした。
本ってそのときどきで感じることが変わるので、興味深いですよね。
というか、人間が変わっていくことが興味深いのか。
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