若い頃、自信のなさから、理想の自分になりたくて、「一発逆転のための飛び道具」みたいなものを血眼になって探していました。
「これかも!」と飛びついて、しばらくやってみては、「違うかも」と中断し、また探し、着手して、しばらくしてやめる。
というのを、なんだかんだ10年くらいやってきました。
長い時間をかけて、やっと心の底から理解できたのが、結局コツコツやるしかないということ。
あー、元も子もないですよねぇ。
若い頃の私が聞いたら激怒するやつ。
でもねえ、本当に、それしかなかったのだよ、過去の私。
天才とかは別なのかもしれないけれど。
少なくとも、小心者で大した勇気も行動力も持ち合わせない、むしろ慎重さが売りの私には、コツコツが一番だったのだよ。
コツコツ積み上げているときの、「ねえ……これといった変化が見られないけど……続けて意味あるの?」という悪魔(自分)のささやき。
あれ、おそろしいよねぇ。
急にものすごい焦燥感にかられるよね。
で。居ても立ってもいられなくなって、新しい「何か」をさがす。
「素敵なわたし」になるための何かを。
せっかく途中まで積み上げたものは急に色を失って視界から消え。
たまに思い出して「あーあ、あれも続けられなかったなあ」と胸がしくっとする。
そんなことを繰り返していたら、すべて中途半端なまま、時間だけが過ぎていった。
ああ、おそろしいねー。
でも同時に、時間の経過って良い面もあってね。
私の場合、加齢の影響なのか、謎の焦燥感が薄れていったことは幸運でした。
「いや。これじゃない! もっと! もっと素敵なものを!」みたいなエネルギーがなくなってきて、そこまで頑張らなくても続けられるものを続けるしかなくなったという感じ。
そう、消去法的に。
「まあ、もう、いいか、これくらいしかできんわ」とあきらめながら、ゆるく続けていたら。
「おや……? 成長するつもりなかったのに、ちょこっとだけ成長してないかい、わし?」という現象が生じてきたんですよ。
まあ、シンプルに、自分とのケンカが終わりに近づいてきてハードルが下がっただけなのかもしれないけれど。いわゆる自己受容というか。
ともあれ、「勉強するぞ」なんて微塵も思わずに、ゆるーくやってきた(というか趣味として遊んできた、に近い)ことが、そこそこ知識がついてきて「まあまあ詳しい」になってしまった。
となると、認めざるを得ない。結局コツコツだ、と。
どうしてもその結論に至りたくなかったけれど、そうなってしまった。
「学問に王道なし」とかの、コツコツ系教訓に対して「チャスッ」とすねていた若い頃の私よ、つまらない回答で申し訳ない。
ここからが本題だ
いやいや、失礼、前置きが長くなってしまいました。
コツコツの威力を実感して以降は、「いかにうまいこと習慣化するか」ということにも目が向くようになりまして。
前回の記事(全力の1回よりも小さな小さな習慣|感想『気分よく・スイスイ・いい方向へ「自分を動かす」技術』)にも書いているのですけれど、こんな感じの表をつくるようになりました。
こんな感じの表をスケジュール帳に書いて、毎日〇をつけていたのですけれども。
だんだん、表をつくるのが面倒になってきたので、今はこんな感じになりました。
買い物のおまけでもらったカレンダーにマーカーで印つけるだけ。
(ちょっと恥ずかしいので詳細はぼかしますが)
緑:サプリメントをのむ
青:楽器の練習
黄:株の勉強
桃:顔の体操
紫:口角を上げるのを意識
完全に習慣化できたものがあれば、他の項目を新たに設定したりしつつ、続けております。
コツは、5分、あるいは1回でもOK、くらいの低いハードルにすること(その代わり、「やらなかったら死ぬ」くらいの切実さで毎日敢行する)。
毎日やることのメリットは、成果云々よりも自分との約束を守った感じがすることかもしれません。
まあでも、けっこう大変だったりもする。笑
これを書いている時点で、本日のノルマ?まだあと2つくらい残っております。
やるか。
今週のお題「習慣にしたいこと・していること」
広告- - - - - - - - - -