ししもとの読書ノート2.0

自分らしく生きるために知識をつける

「やればできる」と思うことによって余計にできなくなることがある

「やればできる」という言葉

「俺はやればできるんだけどさ(あえてやらないだけ)」とか、「あの子はやればできる子なのよ」という言葉、よく耳にしますよね。

冗談めかして使う場合もあるでしょうし、本心からそう思っている場合もあると思います。

しかし、「やればできる」と思ったり言ったりすることで、余計にできなくなる可能性もあるらしいのです。

-

すぐやる! 「行動力」を高める“科学的な”方法

という本を参考に、考えていきたいと思います。


広告  

私も「やればできる」信者だった

かくいう私も、かつては「やればできる」信者でした。

特に、大学受験生の頃。
難関大学出身の芸能人などが「1日10時間くらいは勉強しました!」と言うのを真に受け、「たしかに、受験生なのだからできれば10時間くらいは勉強したほうがいいよね。私だってやる気になればできるはず」と思っていました。

でも、私の精神的あるいは肉体的体力を考慮すると、「1日10時間勉強」はまず無理なんですよ。
どんなに好きなことでもせいぜい2時間くらいで一旦飽きてしまうのだから、大して興味がない科目も含まれる受験勉強を10時間なんてなおさら無理だったんですよ。

今なら素直に、「少し頑張れば達成できる時間数から始めよう」と計画できるのですが、当時は「やれば(=なんらかの神ががり的なキッカケさえあれば)10時間でもできるはず!」と思っていました。

でもね、現実としては、できないんですよ。
例えるなら、普段散歩くらいしかしない人にいきなり「まる一日全速力で走り続けなさい。しかも毎日」と言っているようなものですからね。
現在の能力に対して、ハードルが高すぎるんですよね。

当時はそれが理解できていなかったので、「?? おかしいな? やればできるはず、なのにできない……」となっていました。

「やればできる」と言われたのにできないと罪悪感を感じる

できると言われたことが、実際にはできない。その状況が起こると、脳はできなかったことに対して「罪悪感」を生み出します。

引用元:菅原洋平『すぐやる! 「行動力」を高める”科学的な”方法』(文響社・2016)P.138


「やればできるはずなのにできない」となると、ついその原因を考えてしまいますよね。出てくる答えは「私の気力が足りないせいだ」とか、「私がダメな奴だからだ」「私が無能だから」でした。

何の罪も犯してはいないけれど、「私の気力が足りない(のが悪い)」「私が無能(なのが悪い)」と思っているので、まさに「罪悪感」を感じているんです。

罪悪感を持つと、脳の両側内側前頭葉という部分が働いて、「次こそは!! 次こそはきっとできるはず!!」と期待感が高まるんだそうです。

ただ、いくら期待が高まったところで、次もまた「できない」んですよ。
だって、目標が高すぎるんだもの。
なんとか力づくで1日だけクリアしても、次の日には疲労困憊で何もできません。

その結果「あー……またできなかった」「できるはずなのにやらない自分にガッカリ」と罪悪感だけが巨大化していきました。

この悪循環にはまると、大きな目標に達するための小さな一歩を踏み出せていても、「自分は何もできていない」「そんなのはできたうちに入らない」と全否定し始めるのです。

引用元:菅原洋平『すぐやる! 「行動力」を高める”科学的な”方法』(文響社・2016)P.138

これ、ほんとそう!! まさに受験生当時の私でした。

「やればできる」をこじらせて鬱になった

受験生としての目標は「10時間勉強すること」ではなくて、「希望の学校に合格すること」ですよね。
であれば、合格に近づくには、たとえ短時間しか集中できなくても、やらないよりはやったほうがマシです。

しかし私は「長時間やれないなら意味がない」「たった1時間勉強したって、もうどうにもならない」と、極端な思考にはまってしまうようになりました。

試験の直前の数か月は「もう、これだけ遅れをとってしまったらどうしようもない」という無力感がひどくて、ほとんど何もできなかったですね……(数か月あればできることもあるのにね)。

「生きている状態が耐えられない」というほどまでに自分を責めるようになり、意識があると(起きていると)死んでしまいそうだったので、「少しでも眠れそうなら眠る」というほどの鬱状態になってしまいました(※)。

(※)私がここまで過剰な期待を自らに課し、自分を責めてしまった背景には、母との関係が関与しています。健全な方であれば「できると思ったけどできなかった。まあ、仕方ないか」くらいに落ち着くものなのかもしれません。


広告  

「やればできる」ではなくて、「ここまではできている」

「やればできる」を乱用すると、事態が悪化するおそれがある。
そうならないためには、どうしたらいいのかというと。

それは、「ここまではできる」と到達点を具体的にすること。現実にできていないことは脳に要求しない。できていないことを「できるはず」と過度に期待させないことが重要です。

引用元:菅原洋平『すぐやる! 「行動力」を高める”科学的な”方法』(文響社・2016)P.139


いきなり高い目標を据えて、「完全に遂行できなければゼロ」とするのではなくて、「ここまではできる」と確認することが大事なんですね。

そこから少しずつ調整していけばいいだけのことなんですよね。
人生がかかった大事な局面だ、と思うほど焦ってしまいますけどね。
大事な局面だからこそ、現在地をしっかり把握する必要があるんでしょうね。
南に行きたいのに北に向かって暴走したら目的地から離れますからね。

「やればできる」という概念を捨てた

過去の私は、
「あれほど「やればできる」と思っていたのに、「やればできる」と思うことで気合を入れているつもりだったのに、まっったくできなかった。結局、何かを達するには「実際にやる」以外の方法はないんだ」
という至極当たり前のことを実感しまして。

「やればできる、とか言ってないで、必要があるなら、やる(しかない)」に自然と切り替わりました。
「やればできる」という言葉自体を無意識のうちに捨てた感じですね。

起きているのが辛いほどの鬱状態になったからこそ、「やればできる」がいかに無意味であるか、わかったんでしょうね。

辛い気持ちも、まったくムダというわけではないのかもしれませんね(もう鬱は二度とイヤだけど)。

参考文献
すぐやる! 「行動力」を高める“科学的な”方法

すぐやる! 「行動力」を高める“科学的な”方法

  • 作者:菅原洋平
  • 発売日: 2016/07/28
  • メディア: Kindle版
 

 


広告