大抵の本は一回読むと手放してしまうことが多いのですが(本が増えすぎて管理できないので)、なんとなく手放すのが惜しい感じがして、ずっと持っていた本。
荒俣宏監修『知識人99人の死に方(角川文庫)』KADOKAWA(2000)
どんな本?
ものを考えることを仕事にしていた知識人99人がどんな生き方をし、どんな最期を迎えたか、について書かれた本です。
三島や太宰といった衝撃的な最期を迎えた人もいれば、ピンピンコロリ方式や、眠るように旅立っていった人も。
全てのひとに最期があるのだ、と当たり前のことを実感すると、「いつ人生が終わるかわからないのだから、やりたいことはやっておかなくちゃ」という気持ちになります。
それは決してネガティブなものではなくて、シャキッと気持ちが切り替わるような感覚に近いものです。たまにはそうやって自分を鼓舞することも必要だったりしますよね。
だから、「なんか最近、ダラダラと生きてしまっているな」というようなとき、本書のような、「終わりを意識する」系の本が効きますね。
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印象に残ったところ
赤貝を詰まらせて死亡
私が最も衝撃を受けたのは、久保田万太郎さんという方のエピソード。
職業としては作家だと思うのですが、NHKに勤めていたこともあれば、俳句や劇団もやっておられたようです。
情に厚く、面倒見のよい、社交的な方だったそうですが、その社交性が彼の最期を早めることに。
ある日の美食会で、ずっと苦手としている赤貝が出されたのですが、久保田万太郎さんは気を遣う人ですから、無理やり食べようとしました。
しかし、大嫌いな赤貝は全然喉を通っていかない。
それどころか吐きだしてしまいそうですらある。
とはいえ、ここで吐きだしたりしたら、みなさんが不快に思われる、とさらに無理に飲み込もうとした久保田万太郎さん。
結果、貝が気管に詰まり、昏倒。
病院に運ばれ、気管を切開しますが、そのときにはもう呼吸が止まっていたそうです。
思ったこと
久保田万太郎さんの最期を読んで、身体が受け付けないものを無理に食べるのはやめよう、と心に誓いました。
というのも、私自身、子どもの頃から食が細く、いまだに食べること自体があまり得意ではありません。
特に幼児の頃、野菜が苦手で、好きだとか嫌いだとかのレベルではなくて、本当に身体が受け付けないといいますか、飲みこもうとするとえずいてしまっていたのです。
根性が足りないとかワガママとか、そういう領域を超越した、身体の拒絶反応といった感じだったのです。
野菜に関しては今はだいぶマシになりましたが、他にも食べることに抵抗のあるものは多々ありまして。
だから、久保田万太郎さんが貝を無理に飲み込もうとしたときの感じ、容易に想像できるんです。
食事を残さないというのは確かに大事なことだとは思いますが、あまりに無理しすぎて喉に詰まって死んだら本末転倒です。
しかしながら、「お残し」に対して、大変厳しい考えをお持ちの方もいらっしゃるのが現実のつらいところ。
昔は小学校の先生などにもよくいらっしゃいましたよね、「お残しは許しまへんで過激派」。
幸い、私の担任の先生は「最大限頑張って、できる限り残さないように」程度の方だったので、なんとか学校生活を過ごせましたが…(一応、給食も全部食べていました)。
もし、「お残しは許しまへんで過激派」の先生だったら、私は確実に登校拒否になっていたと思います。
最近はアレルギーなどもあるし、強制ではなくなってきているのかな(そう願う)。
残さないほうがいいというのは大変よく理解できますし、完食できることは素晴らしいな、と思います。
でも、「お残しは許しまへんで過激派」の方が一人、会食の場にいると、正直つらい。
私は特に、「絶っっ対に残してはならない」と思うと、変なプレッシャーがかかって、余計に食べられなくなったり、気分が悪くなってしまう人間なので、「お残しはゆるしまへんで過激派」の方に、「残すなんて、作った人の気持ち考えてないよっ! 失礼だよっ!」などと怒られると、もう、泣きたくなってしまいます。
過去に実際、会食の場で強く指摘されたことがあり、それ以来、食事会や飲み会が苦手になってしまいました……。
食が細い上、苦手なものがある自分はなんてダメなんだろう、と自己嫌悪に陥ってきたのですが、喉に詰まらせて死んだりしたら元も子もないので、もう割り切っていこうと思います。
とやかく言うのはタダで、何かあっても誰も責任はとってくれませんから。
本の話が、いつの間にか、食の話になってしまいました…。
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おわりに
この記事で紹介したのは本書に99ある最期のうちの一つに過ぎません。
先人たちが示してくれた最期のとき、それをもとに、自分がどう生きていくか、あるいは死んでいくか、を考えてみるのはおもしろいかもしれません。