ししもとの読書ノート2.0

自分らしく生きるために知識をつける

事実と解釈を分けて考える |『超解釈 サルトルの教え』より

サルトルの解釈本より、印象に残った箇所の感想です。

全体的な感想は>>>どんな私で生きていくか、は自分で決められる |感想『超解釈 サルトルの教え』


堤久美子『超解釈 サルトルの教え 人類最強の哲学者に学ぶ「自分の本質」のつくり方』光文社(2018)

超解釈 サルトルの教え 人類最強の哲学者に学ぶ「自分の本質」のつくり方

超解釈 サルトルの教え 人類最強の哲学者に学ぶ「自分の本質」のつくり方

 

 

事実と解釈を分けて考える

何かが起こったとき、私たちは事実と解釈を混同しがち。

例えば、部下が一週間休んでいる。自分(上司)がキツく言い過ぎたせいで、ウツ状態になってしまったのではないか、とか。

この例だと、事実は「部下が一週間休んでいる」ということだけで、「自分がキツく言い過ぎたせいでは?」というのは解釈です。

休んだ理由の本当のところは、本人に聞いてみないとわからないわけです。

今度本人に会ったときに聞いてみるしかないのですね。
(→聞き方とか気を遣いそうですし、グイグイ踏み込んでもいけないし、実際は難しいところがありそうですが…まぁ、言葉を尽くして心配している旨を伝え、時間をかけて丁寧に聞いてみるしかないのですかね)

とはいえ、事実が明らかになるまでの間、どうしても気になってしまいますよね……。

そんなときは、頭の中の「保留ボックス」に「部下がウツっぽい件」と書いた紙を入れるのをイメージするのだそうです。
イメージだと難しい人もいると思うので、実際に空き箱などで保留ボックスを作り、紙に書いていれておくのでもいいかも、と私は思いました。

それをしないと、「自分のせいでは……?」とモヤモヤし、責め続けてしまい、解決策も浮かばない、という不毛な状態になってしまいます。

事実が明らかになっていないうちから、勝手に自分を責め続けている人をヒマ人と呼びます。

引用元:堤久美子『超解釈 サルトルの教え 人類最強の哲学者に学ぶ「自分の本質」のつくり方』光文社(2018)p.56

 
ヒマ人…グサッときました(汗)
私自身、ネガティブ解釈で自分責めしてしまうタイプです。

以前よく悩んでいたのは「同僚に挨拶したのに、返してもらえなかった→無視された!?→私のこと嫌いなのでは?」とか。

まさに、事実と解釈が混同していますね。
事実は「挨拶したけれど、返してもらえなかった」だけ。

相手は単に気づかなかったのかもしれないし、眠かったのかもしれないし、体調が優れなかっただけかもしれないわけです。

しかし、ついネガティブに考える私は「あー、やっぱり私のこと嫌いなんだ」と思い込んでしまっていました。

すると、次に相手と接するときに、ぎこちなくなって、ますます距離があいてしまったりするんですよね。

「なぜ挨拶を返してくれなかったのですか?」と直に聞くのは現実的にちょっと難しいですが、頭の中の保留ボックスに「嫌われている可能性もゼロではない件」として入れておいて、冷静に様子を見る、というのがよいのかな、と思いました。
その後も無視が何度も続くのであれば、そっと遠ざかればいいわけで。


なお、この「解釈」は過去の記憶に基づいて行ってしまうもの。
過去のある時点ではそうだったのかもしれないけれど、今はそうではないかもしれない。

だからこそ、事実は何か、をひたすら問うべし
事実が見えると、やるべきことも、見えてくる、というわけです。

アドラー心理学でいうところの「課題の分離」とも似ているような気がしますね。

事実と解釈が混ざっている状態から脱するには、日記を書くのも有効。
嫌でも自分を客観視せざるを得ないからです。

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おわりに

事実と解釈の分離、なかなか難しいものですよね。
かなり意識的に分離する習慣をつけないと、この癖からはなかなか抜け出せなさそうです。

超解釈 サルトルの教え 堤久美子 | ノンフィクション、学芸 | 光文社