かつて、知人たちの間で「誕生日にその人に合った本をプレゼントする」という企画が持ち上がったことがあります。
対象者を除いた複数人で集まって一緒に本屋に行き、計二冊選ぶ。
選び方としては
一冊目:対象者の好きなものや趣味に関連したもの
二冊目:対象者の役に立ちそう(必要としていそう)な本。
といったルールがなんとなくありました。
一冊目はわかりやすい。
山登りが好きな人だったら『全国百名山』的な本とか。
音楽が好きな人であればバンドスコアとか。
で、二冊目のチョイスがけっこうおもしろいんです。
対象者に対して抱いているイメージが、選ぶ本にけっこう出る。
人によって意見が分かれるだろうと思いきや、意外と共通しているんですよ。
正確にいうと、「〇〇さんは(良きにしろ、悪しきにしろ)こういうところがある」という部分が共通していて、それに対して各人の出すジャッジ(だから好きor普通or苦手)は異なっているという感じですかね。
普段、「あの人はこうだよねー」なんて話を一切していなくても、「あ、その本を〇〇さんに選ぶのはわかる!」ということがほとんどでした。
答え合わせできる感じがおもしろかったです。
しばらく選ぶ側で気軽に楽しんでいたのですが、私もプレゼントされる側にまわったことがありました。
当時の私は、「本来の自分が望んでいなかった方向に人生が進んでしまい、後悔まみれ」という状態。
心の中は複雑でしたが、「様々な事情や圧力があったとはいえ、最終的に決めたのは自分なのだから、後悔だとか悩みだとか不満を外に出してはいけない」と思っていました。
表面上は「心身ともに健康で、元気で、明るくて、ちゃんとした人」を装うことができている、と思っていました。
だから、前向きな本というか、当たり障りのないビジネス本あたりをもらえるのではないか、と思っていたところ……。
頂いた本はこちら。
『「不思議なくらい元気が出る」リラックス法』
「バレてた!!!」と思いました(笑)
ただし、「なぜ元気がないか」「なぜリラックスできていないか」といった根本の理由まではわからなかっただろうと思うんです。
けれども、元気がない、張りつめている、という断片的な情報は外に出てしまっていたんですね。。。
自分では「見事に隠せている」と思い込んでいたのですけど。
つらいとか悩みとかを隠すために、あえて明るく振舞ったりしていたのが、逆に本質を浮き彫りにしてしまったのかな。
自分の姿を直接見ることができない(鏡や写真を経由するしかない)のと同じで、心の内面も、直視しているようでできていないのかもしれませんね。
実際、他人のことはわかるけど、自分のことはわからないってケース、けっこうよくありますしね。
極端な例ですが、虐待をしつけと思い込んでいる親も、他人については冷静に認識して「それ虐待だよ! ダメだよ!」と言ったりするらしいです。
「人の気持ち考えてないよ!」と批判してくる人も良い例で、その人こそ批判される側の気持ち考えていないですからね……。
自分に対しては、良くも悪くも「認知のゆがみ」みたいなものが働いてしまうんでしょうね。
その度合には個人差があるでしょうけど。
ともあれ、意外と「自分の状態」というものは外にしみだしている、ということを理解した体験でした。
あのとき、「どうせバレてるんだから隠してもしゃーない」という境地に至れればよかったのですけど、そうすぐに方向転換できるわけでもなく。
なおさら隠そうとして、余計に自分の首を絞めた思い出が。
それから10年以上経ちますが、いまだに自分をよく見せようとしてしまうときがあるなあ、と反省しました。
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おわりに
悩みすぎると、「現在の自分」というものがわからなくなってくるときがありますよね。
そんなときは、信頼できる友人知人に「今の私に合いそうな本を選んでいただけないだろうか」とお願いしてみるのも、一つの手かもしれません。
その人から見た、「客観的な自分」像をうかがい知ることができます。
(ショックを受ける場合もありそうなので、一応覚悟を決めたで)
複数の人に頼んでみるのも、おもしろそう。
同じ方向性であれば客観性が増すし、バラバラであれば自分の多面性に気づけるかもしれませんね。