飽きっぽいところのある私。
気になったらわりとすぐ始めて(ただし、始めやすいものに限る)、多少できるようになるとそこで満足してやめてしまうことが多いです。
いろんな方面に興味があること自体は悪くないと思うのですが、どれも中途半端なので「なんだかなー」とずっと思ってきました。
そこで、以前から少し気になっていた、
堀江貴文『多動力』幻冬舎(2017)
を読んでみました。
広告- - - - - - - - - -
どんな本?
本書でいう多動力とは、いくつもの異なることを同時にこなす力のこと。
以前は多動というとマイナスにとらえられがちでしたが、これからは必要となる力。
というのも、いろんな「モノ」がインターネットにつながって、壁がなくなり、いろんな領域で動ける人というのが求められるから。
様々な分野の越境者になるには多動力が必要である、と。
そこで、多岐にわたるいくつものプロジェクトをものすごいスピードで動かしている堀江さんに、どうすれば多動力をつけられるか聞いてみた、という内容の本です。
前半で、「こつこつ主義、バランス主義」に偏りがちな従来の価値観を見つめ直し、
後半で具体的にどうすれば多動力がつけられるか、ということが述べられています。
読みながら自分の飽きっぽさについて考えてみた
複数の肩書きを掛け算し、レアな存在になろう。
堀江貴文『多動力』幻冬舎(2017)P.31
コツコツやる(時間をかける)ことで「100人に1人」の存在にはなれる。
でも、それ以上、となるとなかなか難しい。
だったら「100人に1人」レベルの肩書を増やして
「100人に1人」×「100人に1人」=「1万人に1人」となればよい、と。
終身雇用も崩壊し始めていますし、人工知能にとって代わられる仕事もどんどん出てきそうですし、一つの仕事をコツコツやる、ということに従来の価値がなくなりつつある、というのは私もひしひしと感じていることです。
ただ、「100人に1人」になるのすら結構時間がかかって大変ですし、ましてやそれを複数分野、となると、気合が必要そうな気も。
私の場合、以前やっていた仕事にはそれなりに時間をかけましたが、いろいろあってやめてしまいましたし(今後役に立つこともなさそう)、それ以降に始めたことは「どれも中途半端」である自覚があります(要するに、現在の持ち駒はすべて中途半端)。
堀江さんのようにいろんな分野で結果を出す人と、私のように「どれも中途半端」な人間の違いはどこにあるのか、と読み進めていったところ、「ハマり具合」の違いではないか、と思い至りました(理解力とか行動力とか、その他いろいろあるでしょうが)。
堀江さんも飽きっぽいらしいのですが、飽きるまではとことんハマるそうです。
何か一つのことを根っこまで掘り下げれば、そのジャンルの神髄がわかり、どんなことにだって応用できるようになるのだ。
堀江貴文『多動力』幻冬舎(2017)P.62
私の場合、「とことんハマる」ことは大人になってからはまずなく、せいぜい「ハマりかけた」くらいにとどまることが多いです。
ではなぜ私はとことんハマることができないのか。
そこで、ちょっとハマったけどやめた、の状況を思い出してみます。
つい最近でいえば、「木粉ねんど」なるものを買って練ってみたのですが、思い通りの仕上がりにならないと悟り、もうやめてしまいました(ハマってすらいない)。
ちょっと前には、「プラバン」をやってみましたが、できあがった作品の使い道があまりなかった(アクセサリーを作ってはみたものの、愛用するほどの出来ではなかった)ので、やめてしまいました。
洋裁をやっていたこともありますが、労力が大きいわりに、思い通りの仕上がりにならないことが多かったので、やめてしまいました。
たった三つ挙げただけでも、なんとなくわかってきましたね……。
私は楽しさよりも、結果ばかり気にしているようです。
結果も大事ですから、結果を意識すること自体は悪くないと思うのですが、天才でもない限り、初心者がいきなりプロ並みにうまくできるわけがないですよね。
なのに、すぐ「うまくできなかったからもういいや」というような諦めムードに浸っててしまうようです。
ある意味、自分に対しての期待値が高すぎるのかな(恥)。
「結果出してナンボ」「誰もが認めてくれるレベルでないと意味ない、ゼロ」と極端な思考になってしまっていて、目の前ことを楽しむ、全力を注ぐ、という観点が抜けていました。
この偏りには以前から自覚があって、かなり修正してきたつもりでしたが、まだこんなに行動様式に染み着いていたとは驚きでした。
この「結果出してナンボ」と少し重複するのですが、「コスパ重視」も「ハマる」に対してブレーキをかけてしまっている気がします。
やりたい事のうち、一番やりたいものより「コスパがいいもの(よさそうなもの)」とか「安いもの」を選んでしまう癖が……。
例えば、弦楽器(バイオリンやチェロなど)を習ってみたかったとします。
しかし、弦楽器は楽器自体も、レッスン料も、それなりにお値段が張る。
というわけで、弦楽器の代わりに少々リーズナブルな管楽器(フルートとかクラリネットとかサックスとか)を始める、といったようなことが多いのです。
もともと別に管楽器がやりたかったわけではないので、すぐに飽きて「もういいや」となってしまうのでした。
「金銭的に余裕ができたら、本当に好きなことをやろう」なんて思ったりするのですが、老後に何千万必要だとか言われるこの時代に、金銭的余裕が生じる日なんてくるのだろうか、みたいなことも考えたりして……。
そうこうしているうちに、中途半端な状態は更新されていくわけで。
そんな私があえて意識したいのは次のこと。
今生きている時間、この瞬間を楽しまず、ただ歯を食いしばって努力したところで、思うような成果なんて得られない。
堀江貴文『多動力』幻冬舎(2017)P.222
本当にそうなんですよね。
ただ歯を食いしばって努力したこともありますが、「それなりに」しか結果が出ませんでした。
しかも、「それなりに」の時点で、かなり疲弊しているので、もうそれ以上続けられなくなってしまいました。
長期的な視点で見ると、損しないように、と心がけているのに、結局大損していますね(汗)。
結果重視、コスパ重視も、その大元には「誰かの目」を気にしている、というのがあるような気がします。
本書でも「他人にどう見られるだろう?」というのが、やりたいことを阻害する最大のブレーキ、と述べられていました。
広告- - - - - - - - - -
おわりに
堀江さんの本を読むと、徹底的に合理性を高めるとこうなるんだな、というのがよくわかります。
とにかく大量のアウトプットを出す、何かを犠牲にしてでも結果を出す(※堀江さんは犠牲にしている感覚はないでしょうが)、ということを目指すのであれば、確実に参考になる本だろうと思います。
実際には能力や気質、大切にしたいこと、なども人それぞれですから、皆が皆、そこを目指したほうがいいかというと、そういうわけでもないとは思いますが。
のんびり屋の私としては、できそうなところはマネして、少しでも生産性を上げられれば御の字かな、という感じでした。
自分が、器用貧乏というか、中途半端になりがちなのはなぜか、ということを考えるきっかけをもらえたのは収穫でした。