ししもとの読書ノート2.0

自分らしく生きるために知識をつける

自分の”才能”は人から見たほうがわかるのかもしれない

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最近はほぼ落ち着きましたが、一時期、「私の才能(※)って、何だろう」と探し回っていたことがあります。

(※)「才能」には様々な定義があると思いますが、私がイメージしていたのは、
・ラクラクこなせる
・自分自身も充実感がある
・社会的に結果が出せる(明らかに卓越しているか、人々に認められる)
のすべてを満たすものでした。

どれか一つなら該当しても、すべてを満たすものって、なかなか見つからないんですよね。

具体的に言うと、私はいわゆる事務作業が得意な人間なのですが、それだと「誰でもできる」し、地味すぎて「人から認められない」と思い込んでしまい、「そんなのは才能とは呼べない」と思っていました。

なんかこう、もっとわかりやすい武器が欲しかったんですよね。
ミュージシャン、アスリート、俳優、みたいな。

要するに「人からわかりやすく評価されること」ばかり欲していたのです。
オンリーワン、かつ、ナンバーワンみたいな。

たぶん、私含め、「自分探し」みたいなことで悩んでしまう人って、等身大の自分をよく見ていなくて、「人からどう見られるか」に重きを置いているのではないかと思います。

だからこそ、見えにくくなるのだろうな、と。

自分の才能は自分が一番見えにくいのかもしれない

こんな記事を書こうと思ったのは、前回記事にした本(>>>小さな実績を積み上げて大きくする - 『嫌なことから全部抜け出せる凡人くんの人生革命』)を読んでいて気づきがあったからです。

 

 

本書で著者は、「自分は凡人」と繰り返すのですが、読んでいるほうからすると、「イヤ、それ、あなた才能だよ」と思う箇所が複数ありまして。
たとえば。

僕はブログを始めたばかりの頃、大きな収益をあげているブログを片っ端からチェックし、1日50記事以上は読んでいました。それくらい、「上手くいっている人を参考にする」ということに重きを置いていたということです(単純に、人のブログを読むのが楽しかったというのもありますが)。

ヒトデ『嫌なことから全部抜け出せる凡人くんの人生革命』Kindle版 位置No.973


私も人様のブログ記事読んだりするの好きですけど、それでも1日50記事は飽きてしまって非常に難しいです。
最後の方はもう、惰性でスクロールしているだけになるでしょう。

でも、それが苦にならずにできてしまう。
それこそが「才能(のかけら)」だと思うのです。

本人が「才能」と認識してない(ように見える)のは、「当たり前にできる」からなのでは、と思います。
逆に、他人から見ると「え、それ、自分には難しいからすごいんだけど」となる。

ここに、才能の見つけ方がありそうだな、と思いました。

別の著者の本でも、「この人、ここの部分なんとも思わずに書いてそうだけど、これがこの人の才能だよな」と思うことがあります。

たとえば。
小山薫堂さんの本を読んで思ったのは、そもそも「何かを面白がれる能力」がある、それ自体がわりと稀有なのでは(私には比較的足りないので)と感じました。

experience.shishimoto-yuima.work

 

他者から見ると、けっこう良くわかるんですよね。
自分にはできないことだったりするから。

でも、本人はほぼ無意識のうちにこなしているから、なんとも思っていない。

ということは、他者から「それ、すごいよね」と言われたことって、なかなかの才能なのではないか、と思うのです。

そりゃ、日本でトップレベルとかを目指そうとすると、非常に小さなことかもしれませんが、「芽」ではあると思うのです。

水をやったり日を当てたりしたら、伸びる可能性がある、ということ。

植物と同じで、同時にいくつか撒けばいいのだろうと思います。

「え、それ、すごくない?」と言われたことを思いだしてみる

f:id:shishi-book:20211125201420j:plain

 

場合によってはお世辞とか、気を遣って褒められているというシチュエーションもあるでしょう。

だからこそ、相手が何の気もなしにポロっと放った言葉が参考になるかもな、と思います。

私の場合だと、昔から「事務作業、得意だよね」と言われていました。
でも、私、それがすごく嫌だったんです。

「えー、事務作業って、誰でもできることじゃん。(当時は専門職に就いていたので)専門分野のことで褒めてよ」と。

で、一旦スルーしたんですね。

でも、何年か後に、別の人にも言われました。
「事務作業っていうか、書類書いたりするの向いてるよね」と。

ここでもまた、「あー、またそれかよ」と思ってしまったんですが、さすがに二度目であり、また信頼している人から言われたので、「まあそういうことなんだな」と思わざるを得なかったのですけど。

その人いわく、「自分は書類自体をすぐなくすし、どんなに気をつけて書いても書き忘れたりする箇所が必ずあるから」とのことで、私からするとピンとこないのですが、当たり前にできているからこそ、ありがたみがわからないのかもしれません。

というわけで、「自分の才能がわからない」と悩んでいる人は、周囲の人に「私って何が得意そうに見える?」と聞いてみるのは一つの手段かなと思います。

ただし、親や近い親戚の言うことは気にしなくていいです。
あの人たちの言うことには「子にはこうなってほしい」という願望が入っていて、それこそ現実からかけ離れていたりするので。

また、親の性質を受け継いでいる場合は、親にとっても「それはできて当たり前」なので、わかりにくいかもしれません。

才能が判明したとしても……

「事務作業が得意」とよく言われた私。

その言葉に「えー」と思いつつも、紆余曲折の末、事務作業的能力を必要とする仕事をしているので、今の私は「才能を生かしている」状態に該当するんだろうな、と思います。

だとすると、「才能を生かしていきる」って、そこまで充実したことでもないというか、納得感のある状態というわけでもないんだな、と思います。

才能を生かしているからといって、すっぱり「これで全てよし!納得!」になるとは限らない、ということ。

私自身に関していえば、親との関係でインストールした
人から全面的に評価されなければ意味がない
という観念にいまだに強く囚われているのだと思います。

だから「こんな誰にでもできることじゃ満足できない」のですよね。

(かといって、「人からすごいねと言われやすい」方向に進んだことがありますが、好きではなかったので、それはそれで辛かったです。)

自他ともに認める特異能力があったとしても、全員から評価されるって、不可能ですよね。
どんなに才能がある人や、美しい俳優さんでも、何かしら批判されたりしているのを見ると、そう思います。

結局、「自分(才能)探し問題」は、等身大の自分じゃ満足できない問題、すなわち、自己肯定感の問題に行きつくのかな、と思いました。

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おわりに

・自分の才能や得意なことは、自分にとっては「当たり前にできる」からこそ自分で認識しにくい
・「自分にも何か才能があるはず」と焦っている人は、周囲の人(親は除く)に聞いてみるのも手
・自分の才能を生かした状態が「すべて納得」になるとは限らない
・結局、自分が自分に納得できるかどうかの問題かもしれない

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